自分本位に生きるこれは、2005年7月28日の二つの日記「自己中心的に生きる」をまとめて改題したものです。------------------------------------------ 「最も愛情深い人間は、最も自己中心的な人間である」 何かの本に書かれていた言葉です。 ちょっと考えただけでは、何を言っているのか!という反応をしてしまいそうですが、この言葉の意味するところは深いものがあります。 世の中全てのことを自分を中心に考える。 自分がよければ何でもいい。 でもこの「自分」というのは「自分の良心」でもあり「感情」でもあり、「魂」でもある。 人に何か良いことをする。 利他主義でも博愛主義でもなんでもない。 その人が喜んでくれることがすなわち自分の喜びにもなるから・・・・ 人に悪いことはできるだけしない。 誰かに言われたからでも法律で禁止されているからでもない。 やった後の自分の気分が悪いから・・・・ 娘と遊ぶ。 親だからではない。 娘の喜ぶ顔、笑う顔が見たいから・・・・ 人には嘘をつかない。 嘘がいけなことだからではない。 嘘をついた時の後味が嫌いだから・・・・ なにかやるときは精一杯やる。 中途半端では格好悪いからではない。 人は関係ない。 自分が納得しないから・・・ 自分が後悔したくないから・・・・ もっともっと自分本位に生きてみよう。 自分を愛せずして人を愛すことはできない、とも言うではないか。 自分を愛する。 自分に正直に生きる。 この瞬間も自分の、自分だけの、自分のための特別な時間・・・ 未来に繋がる今を、自分本位に生きてみよう。 また、この「最も愛情深い人間は・・・・」という言葉、これは、先ごろ読んだ"The Book of Life"に書かれていた、哲学者エピクテタスの言葉、 「もしあなたが人生の最大の秘密 - あるものはあなたがコントロールできるが、あるものは出来ない -を知っていれば、あなたは幸福になれる」 に通じるものがある。 自分がコントロールできるもの、それは「自分」以外にない。 相手を変えようと思ってもできない。 できるのは自分を変える事だけ。 相手から愛されたいと思っても、相手に強制することはできない。 できるのは、自分が相手を愛することだけ。 だからと言って、見返りに相手が自分を愛してくれることを期待してはいけない。 それはあなたの「コントロールできない『あるもの』」だから・・・ 最も自己中心的な人間は、他者がどうあろうと関係ない。 その他者との関係において、「自分がなにものであるか」だけに関心がある。 「相手」に囚われること、「コントロールできないなにものか」に囚われること、それが殆どの場合、失敗の原因でもある。 自分がコントロールできること、それは自分以外にない。 「相手」が何者で、何をし、何を考え、何を言い、何を欲し、あるいは要求しているか、「相手」が何を期待し、考え、計画しているか、 そんなことは彼にとってどうでもいい。 それは彼にとって「コントロールできない」ものだから。 あくまでも「自己中心的」であること、それは「コントロールできる自分自身」を常に中心に考えることであり、他者との関係において自分自身が何者であるかを見出し、気に入らなければ「自分自身」を変えること。 間違っても「相手への愛情を通して、自分への愛情を求める」過ちを犯してはならない。 間違っても「相手への好意を通して、自分への見返りを期待する」過ちを犯してはならない。 自分が常に考えること、それは「コントロールできる」自分自身以外にはない。 「自分自身を失う」こと、これが「自己中心的に生きる」ことの対極にあるもの・・・・ ジャンル別一覧
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